大判例

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大阪高等裁判所 昭和56年(う)1791号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一年二月に処する。

原審における未決勾留日数中六〇日を右刑に算入する。

押収してあるプラスチック製簡易ライター一個を没収する。

当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人中川秀三作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官吉岡卓作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意一1について

論旨は原判決は原判示第二のうち殺人未遂の事実につき、「屋内に都市ガス(天然ガス)を約一五分間にわたり漏出させ、これに所携の簡易ライターで点火することで同女(A子)を焼殺そうとし、その生命に危険を生ぜしめた」と判示しているが、本件犯行の際のガス漏出状況では、家中が外部に向って大きく開口されており、ガスが着火爆発するような濃度に達していなかった疑いが強い。そして、着火爆発しないことは、点火しても燃えないことを意味するのにかかわらず、原判決が、前記のように判示して、点火しても爆発はしないが燃えるという趣旨を包含する判示をしたのは、その点火動作から燃えるまでの機序を判示していない以上、その理由が欠落し、判決に理由を附さない違法がある。また、右のようにガスに点火できない客観的状況にあったことは、被告人に焼殺の故意がなかったことを証明するものであるのにかかわらず、原判決がその故意があったことを判示しているのは、理由に欠落があり、判決に理由を附さない違法があるというのである。

所論にかんがみ記録を精査するに、原判決は原判示第二のうち殺人未遂罪の事実を判示するにあたり、所論引用のとおり摘示しているが、右事実につき原判決の挙示する関係証拠によって認められる被告人方自宅の家屋の開口部の状況を考慮しても、被告人がガスを漏出させたガス栓の内径が九ミリメートル及び七ミリメートルの二本であり、これを全開して約一五分間もの間漏出を続けたこと、ガスの漏出した一階の床面積は約四七平方メートルに過ぎず、この中に原判示子供部屋、台所を含め三室と廊下等があって、台所で漏出したガスが直ちに前示開口部から発散する構造にはなっていないこと、子供部屋にいたA子とその長男Bは、入口の扉を閉ざし、西側の窓を開けていたのにかかわらず、侵入したガスのため息苦しくなるほどであり、臨場した警察官は、すでに玄関先においてもガスが充満している感じを受け、鼻をつまみたくなるような状態であったことなどからすると、原判決挙示の証拠によって、当時被告人方自宅の屋内は、少なくとも場所によっては、充満したガスが着火濃度に達していたものと推認することができる。そして、所論引用の原判示部分は、所論のように爆発はしないが燃える趣旨を判示したとは必ずしも即断できないのであるが、屋内に漏出した燃料用ガスに点火した場合、爆発あるいはその他の燃焼のいずれによるにせよ、家屋に火災の発生する蓋然性のあることは実験則の示すところであり、原判示第二の事実摘示中、点火後の結果に触れる点は、被告人の企図を示したもので、その燃焼等の機序は未確定の事実であることからすると、罪となるべき事実における殺人方法の判示をする場合にも、屋内に都市ガスを漏出させてこれに点火し、その結果室内にいる被害者を焼殺そうとした趣旨を原判決の程度に示せばその摘示に欠けるところはなく、判決に理由を附さない違法があるということはできないから、この点の論旨は理由がない。

また、前示のように、原判決の挙示する関係証拠上、所論のようなガスに点火できない客観的状況であったとはいわれないのであるから、点火できないことを前提として、被告人の殺意に関する原判示に理由を附さない違法があると主張する論旨もまた理由がない。

控訴趣意一2について

論旨は、被告人がガスを漏出させ、「焼き殺す。」と言ったのは、子供部屋に閉じこもったA子を出てこさせるための方便としてしたことで、実際に殺意はなかったのであり、右殺人未遂の事実につき原判決の摘示する関係証拠や、その認定事実自体を検討すると、原判決が殺意を認定したのは不合理であり、原判決はその理由にくいちがいがあるというのである。

そこで検討するに、原判決の挙示する証拠によると、被告人は、妻であるA子が浮気をしていると疑い、これを白状させるため、同女に対し原判示第一の暴行を加えて傷害を負わせたが、同女が子供部屋に逃げこんで鍵をかけて閉じこもったので、被告人もはじめは同女に対し出て来るように扉越しに何回も呼びかけていたが、どうしても出て来ないことに激昂すると共に、同女が浮気をしていることを確信的に疑うに至り、前夫のように捨てられるよりは、ガスを漏出させてこれに火をつけ、同女と無理心中をしようと企てたもので、被告人がガスを漏出させたのちにおいて、子供部屋の中にA子といっしょにいたその長男Bに対し、原判決が原審弁護人の主張に対する判断において判示するように、「お母さんを焼き殺す。」と言い、同時にBに対しては危険を避けるため出て来るように呼びかけたのは、所論のように単にA子を部屋から出すだけの目的ではなく、すでに殺意をもってしたことであることが認められる。

所論は、原判決が、A子が前夫のCを捨てるような形で離婚した旨認定している点については証拠がないというが、《証拠省略》中にその趣旨の記載が存するから右所論は採用できない。また、所論は、原判示によると、被告人はガスを漏出させる直前までは、浮気を白状させるために暴行等をしたが、殺意はなく、ガス栓を開く際に突然焼殺の故意を生じたというのであって、その心理が不自然、不合理である上、その後も長男Bを部屋から出すべく何度も呼びかけ、一五分間も点火しなかったのは、被告人に殺意がなかったことを示唆するものであるというが、殺意を生じた経過に関して右に説示したところからすれば、所論は採用できない。さらに、所論は、被告人の焼殺方法に関する捜査機関に対する供述調書を検討すると、原判示の殺人の手段方法は、昭和五六年七月一三日に至ってはじめて調書上明確になったもので、それまでは不明確であったことからも、殺意を認めるのは困難であるというのであるが、被告人は、原判決の挙示する証拠中、逮捕の翌日である同五六年七月二日付の司法警察員に対する供述調書中においてすでに、A子に対する殺意のほか、ガスを出して火をつけ、殺してやると怒鳴り、ガスを放出した後、簡易ライターを取り出したことを述べており、殺意及び被告人の企図した手段方法の大筋は取調の当初から明らかであったということができるから、右所論も採用しがたい。そして、原判決の挙示する証拠中に、前記認定と必ずしも合致しない供述記載部分があることは、いまだ原判決の摘示する事実と証拠にくいちがいがあるというにはあたらない。

以上のとおりであるから、原判示第二のうち殺人未遂罪の殺意に関する判示自体に理由のくいちがいはなく、論旨は理由がない。

控訴趣意一3について

論旨は、原判決はその法令の適用において、被告人の少年時代の非行歴を判示しているが、その挙示する証拠中にはこの点の証拠である個人照会結果復命書がなく、また、原判決は本件犯行が未成年の子二人に与えた精神的打撃が大きい旨判示しているが、そのような証拠は存在しないから、これらの判示事実について原判決には理由を附さない違法があり、又は理由にくいちがいがあるというのである。

しかしながら、所論指摘の各事実は、いずれも情状に関する事実として判示されているもので、これを認定した証拠を判決に摘示することは必要でないと解される(なお、右のうち被告人の非行歴については、所論の挙げる復命書のほか、被告人の同五六年七月二日付司法警察員に対する供述調書によって認定でき、未成年の子二人の精神的打撃についても、原審において取調べた証拠によって十分推認しうるところである。)から、この点につき原判決に理由を附さない違法あるいは理由のくいちがいはなく、論旨は理由がない。

控訴趣意一4について

論旨は、刑法一一八条一項の瓦斯等漏出罪にいう危険とは、ガス自体が、発火動作をすれば着火する濃度を有したこと、又は致死濃度を有したことを指すものであるのにかかわらず、原判決が原判示第二のうち瓦斯等漏出罪の事実を摘示するにあたり、右濃度の点に触れず、漏出したガスに被告人が人を焼殺するため点火しようとしたために生じた危険を摘示して同罪の成立を認めたのは、法令の適用を誤ったもので、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであり、また、構成要件上必要とされる危険を判示していない点で理由が欠落し、判決に理由を附さない違法があるというのである。

しかしながら、原判決は、所論の点につき「屋内に都市ガス(天然ガス)を約一五分間にわたり漏出させ、これに所携の簡易ライターで点火することで同女を焼殺そうとし、その生命に危険を生ぜしめた」と判示しているのであるが、右は瓦斯等漏出罪と、殺人未遂罪の観念的競合となる実行行為を摘示した部分であることからすると、原判決は被告人が点火しようとしたことによる危険を瓦斯等漏出罪に規定する危険として判示したものとは断定できず、所論は結局前提を欠くものである。また、原判決は、罪となるべき事実中において、前示引用部分のほか自宅一階四畳半の子供部屋に同女が逃げ込み、被告人は右子供部屋に隣接している台所のガス栓二本を開いた旨判示し、なお原審弁護人の主張に対する判断中において、燃焼の可能性は十分あったことを附加説示しているのであって、本件ガスが元来燃料用ガスであることからすると、特にその具体的な濃度を判示しなくても、瓦斯等漏出罪における危険の判示がないということはできない。原判決には所論のような判決に影響を及ぼすべき法令適用の誤り又は判決に理由を附さない違法はなく、論旨は理由がない。

職権による判断について

控訴趣意二の1ないし6(量刑不当の主張)に対する判断に先立ち、職権により検討するに、原判決は原判示第二において「自宅一階四畳半の子供部屋に同女(A子)が逃げ込み、その長男Bと共に同部屋に閉じこもり、同女らに同部屋から出てくるように何度も呼びかけたが、これに応じないことに激昂すると共に同女の右態度から同女が浮気をしていてその前夫と同様自分も捨てられるものと思いつめ、そうなるよりむしろ、ガスを漏出させてそれに点火して同女を焼殺し、自己も焼死して無理心中しようと企て、直ちに、右子供部屋に隣接している台所のガス栓に接続されているガスレンジ及びガス湯沸器のホースを引き抜きガス栓二本を開き、屋内に都市ガス(天然ガス)を約一五分間にわたり漏出させ、これに所携の簡易ライターで点火することで同女を焼殺しようとし、その生命に危険を生ぜしめたが(中略)ガスの元栓を閉鎖されて逮捕されたため、同女殺害の目的を遂げなかった」との事実を認定し、これに瓦斯等漏出罪及び殺人未遂罪を観念的競合として適用しているのであるが、その瓦斯等漏出罪の適用は正当であるけれども、殺人未遂の点につき、右判示は簡略であるものの、原判決の挙示する対応証拠及び当審における事実調の結果によれば、天然ガスには一酸化炭素が含まれていないから、これが漏出しても、いわゆるガス中毒死を招く危険はないものであるところ、本件において、被告人は屋内に充満したガスに点火して木造二階建の自宅を燃やし、A子を子供部屋で焼き殺すか、又は火に驚いて出て来ればこれを屋内でつかまえて焼き殺す意図をもって、ガスを漏出させた上、簡易ライターを手に持っていたことが認められ、原判決もこの事実を判示しているものと解される。そうすると、被告人は建造物に対する放火を手段として、その一室に閉じこもっているA子を焼殺しようと企て、その放火の準備として原判示ガスを漏出させたが、点火するには至らなかったのにほかならず、このように、建造物に対する放火が殺人の手段となっている場合においては、放火の着手が同時に殺人の実行行為の着手にあたるもので、至近距離に裸火があって、ガスを漏出すれば直ちに着火することが明らかであるような場合は格別、右放火の準備として屋内にガスを漏出した上、簡易ライターを手に持っていたにとどまる被告人の右行為は、いまだ殺人の実行行為に着手したものにあたらず、殺人を目的とした殺人予備の行為に該当すると解するのが相当である。

しかるに、原判決が原判示第二の事実につき瓦斯等漏出罪のほか、殺人未遂罪が成立するものとし、後者の罪につき刑法二〇三条、一九九条を適用したのは、法令の適用を誤ったものであり、その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、これと瓦斯等漏出罪を科刑上の一罪とし、さらにそれと原判示第一の傷害罪とを併合罪として一個の刑を言渡した原判決は、前示控訴趣意二1ないし6に対する判断をするまでもなく、その全部につき破棄を免れない。

よって、刑事訴訟法三九七条一項、三八〇条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により更に判決する。

原判決の認定した事実(ただし、原判示第二の事実の七行目「点火して」のつぎに「木造二階建の自宅を燃やし、これによって」を加え、一一行目から一二行目にかけての押収番号を(当庁昭和五七年押第九号の符号一)と訂正し、一三行目の「生ぜしめ」以下を削り、「生ぜしめるとともに、右簡易ライターをポケットから取り出して手に持ち、もって殺人の予備をしたものである。」を加える。)に法令を適用すると、被告人の判示第一の所為は刑法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号に、第二の所為中ガス漏出の点は刑法一一八条一項、罰金等臨時措置法三条一項一号に、殺人予備の点は刑法二〇一条にそれぞれ該当するところ、第二のガス漏出と殺人予備とは、一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから、同法五四条一項前段、一〇条により一罪として重い瓦斯等漏出罪の刑に従い、右の罪及び第一の傷害罪につきいずれも懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により重い第一の傷害罪の懲役刑に同法四七条但書の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で処断すべきところ、犯情をみるに、本件各犯行の罪質、態様、ことに第二の犯行は、都市ガスを漏出することの性質上、直接の被害者の生命のみならず、周辺住民の生命財産に公共の危険を生ずるものであることなどに照らし、被告人の刑事責任は軽視できず、本件が計画的犯行ではなく、被告人が当時飲酒していたこともあって犯行に及んで事情、現在は反省し、被害者である妻A子とも一応和諧していることなど被告人に利益な一切の事情を考慮しても、なお刑の執行猶予を相当とするものとはいえないので、右刑期の範囲内で被告人を懲役一年二月に処し、前同法二一条により原審における未決勾留日数中六〇日を右刑に算入し、押収してある主文第四項掲記の物件は、判示第二の殺人の犯行の用に供しようとした物で犯人以外の者に属しないから、同法一九条一項二号、同条二項によりこれを没収し、当審における訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項本文により全部被告人の負担とする。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 尾鼻輝次 裁判官 角敬 加藤光康)

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